English Poetry and Literature
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ウィルフレッド・オーウェンの生涯と作品



ウィルフレッド・オーウェン Wilfred Owen (1893-1918) は、戦争詩人 War Poet あるいは塹壕の詩人 Poet of the Trenches として、20世紀のイギリス文学に独自の足跡を残した。第一次世界大戦で死んでいった多くの人々の死を目の前に見て、彼らの死と生の意味を、自分のそれに重ね合わせながら歌ったオーウェンの作品は、今でも世界中の人々の心を揺さぶり続けている。

オーウェンは生前にはまったく無名の詩人だった。今日に残るオーウェンの詩のほとんどは、1917年の夏から翌年の夏までの短い期間に書かれた。オーウェンはイギリス軍の将校としてフランス戦線に従軍し、そこで血みどろの地獄のような光景に直面して深刻な神経症に陥り、エディンバラの軍の病院で治療を受けたのであるが、そのときに出会った詩人シークフリード・サスーン Siegfried Sassoon の指導を受けながら、戦争体験を詩にした。

それらの詩は彼の生前には刊行されることがなかった。死後2年後の1920年にサスーンが遺稿を集めて出版し、1931年にはエドマンド・ブランデン Edmund Blunden が完全な形で詩集を出版するや、彼の詩はたちまち人々の心を捉えた。

オーウェンの詩は、歌っている内容が余りにも非人間的な体験であるところから、通常の詩とは全く異なったパッションを、読む人の心に掻き立てる。言葉の使い方は滑らかでなく、音楽的でもない。だが戦場での異常で非人間的な出来事を語りかけるその言葉には、あらゆる言葉の修飾を超越した迫力がある。そしてその迫力は、人間というものに対する限りない愛惜の念によって裏付けられてもいる。

イギリスは第一次世界大戦の野蛮の荒野から、オーウェンのほかに、サスーンやブランデンをはじめ多くの戦争詩人あるいは反戦詩人を生み出したが、それらの中でオーウェンは孤高の輝きを放っているといえる。

オーウェンはウェールズに近いイングランドに生まれ、ウェールズで育った。第一次世界大戦が勃発したとき彼はフランスで暮らしており、直ちには応召しなかった。大戦勃発の翌年に始めて応召し、陸軍学校でのトレーニングを受けた後、1917年の1月に将校としてフランス戦線に配属された。しかし彼は戦場での体験に耐えられず、弾丸恐怖から深刻な神経症に陥ったのである。

その治療の為にエディンバラの軍の病院にいたとき、サスーンとの運命的な出会いをしたのだった。サスーンはオーウェンに、異常な体験をリアルに表現することを教えたようだ。

それまでのオーウェンはジョン・キーツにかぶれていたといわれ、言葉の音楽性や美しさにこだわっていたようだ。サスーンはそれを否定し、人間の感情をむき出しのままに表現することの大事さをオーウェンに仕込んだのだと思われる。その結果オーウェンは、サスーンを超える詩を書いた。

オーウェンは1918年の9月にフランス戦線に復帰し、戦場の恐怖を乗り越えて武勲をあげ、勲章をもらったこともあった。だが1918年11月4日(大戦終了の一週間前)に戦死した。まだ25歳の若さであった。







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