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ジョン・ダン John Donne:生涯と作品



ジョン・ダン John Donne (1572-1631) はイギリスの文学史上あまり例をみないユニークな詩人である。その文学上の業績は同時代人にとっては受け入れられることはなかった。だが20世紀になると深い影響を及ぼすようになり、イェイツやエリオットに高く評価された。ヘミングウェーやマートンは自分の作品の題名をダンの文章からとったりしている。

「思想を感覚的に表現できた」とエリオットが評しているように、ダンの作品の特徴は感覚と瞑想の入り混じった複雑な世界をかもし出していることにある。このことに関して、ダンを瞑想の詩人あるいは形而上学的な詩人とする見方もあるが、ダンはただ単に瞑想を抽象的な言葉で述べるのではなく、それを感覚と縺れ合わせて歌うのである。

初期の作品には感能を直接に歌い上げたものが多い。それらには生々しいエロティシズムが言葉の殻を突き抜けて、むき出しになったようなイメージがあふれている。しかも単に肉の豊穣さを歌うだけでなく、魂との交流のなかでの肉の喜びを歌うのだ。

また、晩年に書かれた瞑想的な作品は、神に対する深い宗教的感情を、肉との連続のうちで歌い上げている。これらの作品は、神に直接向かい合った個人が、肉を供えた人間としていかに神の許しを受け、神の栄光と一体となれるか、その希望と不安を述べているのである。

このようにダンの作品はそれまでのイギリス文学の伝統とは遠く離れたところに位置している。ダンが追求したのは、個人としての自分の生き方であり、また神へのかかわり方であった。その新しさのために、20世紀以降においても大きな影響力を失わないであろう。

ダンは世界の文学史上で、初めてメランコリーを歌った詩人でもある。自身深いメランコリーに取り付かれていたようだ。そのため自殺の衝動にかられることも数ならずあり、特に晩年には常に不安にとらわれていたようだ。

それは宗教に対するダンのかかわり方の一つの現われであったといってもよい。

ダンは敬虔なカトリック信者である両親の子として生まれた。母方の流れにはカトリックのために殉教したトーマス・モアがあり、また近い親族のなかにカトリックの信教に準じて迫害された者が多くいた。ダンの弟ヘンリーも宗教的な理由から投獄され、それがもとで獄死している。

だがダンは親族の中でただ一人カトリックを捨てて英国協会に帰依し、後には国教会の牧師にもなった。ダンの改宗の理由は十分には明らかにされていないが、このことがダンの内面に著しい緊張をもたらしたことは見て取れる。彼が新教に改宗することで、神に対して普通人以上の負債を負ったと考えたとしても、的外れではない。

ダンの生涯は、前半と後半とでは様相を大きく異にする。オックスフォードとケンブリッジに学んで社会に出た青年期には、諸国を放浪するなどしてかなり自由な生活を楽しんだようだ。20代後半で従妹のアン・モアと恋に陥り、アンの父親の反対を押し切って結婚した。アンはダンとの間に11人の子を設け、12人目の出産に際して死んだ。ダンの初期を彩るエロティックな作品はこうした青年時代の生き方から生まれたものだ。

ダンがカトリックを捨てる決心をしたのは1610年頃(38歳頃)だった。そして1615年に国王ジョージ1世によって英国教会へと導き入れられた。1621年にはセント・ポール寺院の主任牧師となり、それ以降は表向き敬虔な新教徒として生き続けた。だがダンの心中は、カトリックを捨てたことに対するわだかまりと、ひとりの個人として神に向き合う自分への不安が、常に交差していたと考えられる。

ダンは生前自分の詩を刊行することは殆どなかった。唯一の例外は、ルーシーという女性の死を悼む、二つの作品だけである。






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