English Poetry and Literature |
HOME|ブログ本館|東京を描く|水彩画|ブレイク詩集|フランス文学|西洋哲学 | 万葉集|プロフィール|BSS |
クレージー・ジェーン司教と語る Crazy Jane Talks With The Bishop:イェイツの詩 |
ウィリアム・B・イェイツの詩集「音楽のために」から「クレージー・ジェーン司教と語る」Crazy Jane Talks With The Bishop(壺齋散人訳) 司教と道端でであったので こんな話を交わしたのさ 「お前の胸もしなびたものだな そのうち血の気もなくなるさ もう豚小屋などに住んでないで 清らかな生活を心がけろ」 「きれいと汚いは親戚同士 汚いがなければきれいもない あたしの仲間たちは死んじゃったけれど みな墓とベッドに事欠かなかった 肉の汚さも心のおごりも同じ真理に 達するものよ」とわたしはわめいた 「女は愛に夢中になると 誇り高くなるものなのよ その愛が住まうところは 小便がでるところと同じ孔 その孔を破られないうちは 女として何事も始まらないわ」 汚いとは欲望にまみれたこと、きれいとは欲望を超越したこと、こういう司祭に対して、ジェーンはきれいときたないは親戚同士と答える。その証拠に排泄とセックスはとなり同士ではないか、こういうジェーンには肉体を離れた精神などありえないのだ。 |
|
![]() |
|
Crazy Jane Talks With The Bishop I met the Bishop on the road And much said he and I. 'Those breasts are flat and fallen now, Those veins must soon be dry; Live in a heavenly mansion, Not in some foul sty.' 'Fair and foul are near of kin, And fair needs foul,' I cried. 'My friends are gone, but that's a truth Nor grave nor bed denied, Learned in bodily lowliness And in the heart's pride. 'A woman can be proud and stiff When on love intent; But Love has pitched his mansion in The place of excrement; For nothing can be sole or whole That has not been rent.' |
|
前へ|HOME|イェイツ|次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2010 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |