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クレージー・ジェーン司教と語る Crazy Jane Talks With The Bishop:イェイツの詩



ウィリアム・B・イェイツの詩集「音楽のために」から「クレージー・ジェーン司教と語る」Crazy Jane Talks With The Bishop(壺齋散人訳)

  司教と道端でであったので
  こんな話を交わしたのさ
  「お前の胸もしなびたものだな
  そのうち血の気もなくなるさ
  もう豚小屋などに住んでないで
  清らかな生活を心がけろ」

  「きれいと汚いは親戚同士
  汚いがなければきれいもない
  あたしの仲間たちは死んじゃったけれど
  みな墓とベッドに事欠かなかった
  肉の汚さも心のおごりも同じ真理に
  達するものよ」とわたしはわめいた

  「女は愛に夢中になると
  誇り高くなるものなのよ
  その愛が住まうところは
  小便がでるところと同じ孔
  その孔を破られないうちは
  女として何事も始まらないわ」


汚いとは欲望にまみれたこと、きれいとは欲望を超越したこと、こういう司祭に対して、ジェーンはきれいときたないは親戚同士と答える。その証拠に排泄とセックスはとなり同士ではないか、こういうジェーンには肉体を離れた精神などありえないのだ。





Crazy Jane Talks With The Bishop

  I met the Bishop on the road
  And much said he and I.
  'Those breasts are flat and fallen now,
  Those veins must soon be dry;
  Live in a heavenly mansion,
  Not in some foul sty.'

  'Fair and foul are near of kin,
  And fair needs foul,' I cried.
  'My friends are gone, but that's a truth
  Nor grave nor bed denied,
  Learned in bodily lowliness
  And in the heart's pride.

  'A woman can be proud and stiff
  When on love intent;
  But Love has pitched his mansion in
  The place of excrement;
  For nothing can be sole or whole
  That has not been rent.'





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