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シェイクスピアのソネット111 O, for my sake |
お願いだから あの運命の女神を非難してくれたまえ 私に悪弊を植え付けた罪深き女神を 彼女が私のために授けてくれたのは 世渡りに必要な処世術だけだ 私が悪名を蒙ったのもそんなわけから 私の品性は染物のようなもの 彼女の手によって染められてしまったのだ 憐れんでくれたまえ 私は生まれ変わりたいのだ 聞き分けのよい患者のように 酢を飲んでこの疫病を治そう 苦くとも我慢しよう 更正のためなら二重の難行も苦にならぬ 愛する友よ 憐れんでくれたまえ 君の憐れみは私を治すには十分なのだ この詩の中で、シェイクスピアは青年に向かってくだくだと言い訳をしているようにとれるのだが、何がその原因なのかについては、いまだにシェイクスピア学者の間で見解が一致していない。 あるものは、シェイクスピアのいう女神とは文芸の守護神、つまりミューズであることを理由に、シェイクスピアはこの詩の中で自分がプレイライターであることを恥じているのではないかと推測している。シェイクスピア時代にあっては、プレイライターは卑しい職業のうちに数えられていたからだ。日本でも世阿弥などの能役者が河原乞食扱いされたのと変わらない。 あるものは、シェイクスピアが売春宿に入り浸ったことを恥じているのではない推測している。 いずれにしても、この詩はシェイクスピアを研究する上で、多くの謎をかもし出すものであり、古来多くの議論を呼んできたものだ。 |
SONNET 111 ーWilliam Shakespeare O, for my sake do you with Fortune chide, The guilty goddess of my harmful deeds, That did not better for my life provide Than public means which public manners breeds. Thence comes it that my name receives a brand, And almost thence my nature is subdued To what it works in, like the dyer's hand: Pity me then and wish I were renew'd; Whilst, like a willing patient, I will drink Potions of eisel 'gainst my strong infection No bitterness that I will bitter think, Nor double penance, to correct correction. Pity me then, dear friend, and I assure ye Even that your pity is enough to cure me. |
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