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シェイクスピアのソネット106 When in the chronicle |
過ぎ去った時代の年代記の中に 美しい人々が描かれているのを読み 今はなき貴婦人や紳士たちを称賛しながら 美が美しい詩句を生み出すのを見ると それらが優れて優しい美を描いたのは つまり手足や唇 目や額を描いたのは 古人のペンが 君のもっているような美しさを 描きたかったのだということがわかる 彼らの賛美は今日の時代を予言したもの すべては君のことを予示しているのだ ただ彼らは想像の目で描いたに過ぎないから 君の価値を歌うための十分なわざを欠いていた 今日の時代を見ている我々は 感嘆する目は持っていても 称賛する舌を欠いている 古の年代記作者は、昔の貴婦人や紳士たちの美しさを賞賛しているが、彼等は今生きている青年の美しさを見ていないから、その賞賛は完全なものではない。我々は幸福なことに、その青年の美しさを目のあたりにしている。 だが残念なことに我々は、青年の美しさを語るだけの有能な舌を持ち合わせていない。 こう歌うことで詩人は、青年の美を逆説的に描き出している。 |
SONNET 106 ?William Shakespeare When in the chronicle of wasted time I see descriptions of the fairest wights, And beauty making beautiful old rhyme In praise of ladies dead and lovely knights, Then, in the blazon of sweet beauty's best, Of hand, of foot, of lip, of eye, of brow, I see their antique pen would have express'd Even such a beauty as you master now. So all their praises are but prophecies Of this our time, all you prefiguring; And, for they look'd but with divining eyes, They had not skill enough your worth to sing: For we, which now behold these present days, Had eyes to wonder, but lack tongues to praise. Chronicle:年代記、編年体の記録、wights;紳士淑女、blazon;褒め称えること、master:保持している、 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2008 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |