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アローン Alone:エドガー・ポーを読む



エドガー・ポー Edgar Allan Poe の詩「アローン」Alone(壺齋散人訳)

  子どもの頃からわたしは ひととは
  違ったようにふるまい ひととは
  違ったものを見て ひととは
  ことなる泉から汲み取った
  ひととは異なるものに悲しみを
  感じ取り ひととは異なるものに
  喜びを感じた
  わたしが愛したのは ひとりでいることだった

  子どものころ この波乱の人生の
  夜明けの時期にあたり
  わたしに取り付いた神秘は
  善悪の深みからやってきた
  激流からも 泉からも
  真っ赤な岸壁からもやってきた
  また黄金の秋の色に染まりながら
  わたしの周りを回転する太陽からも
  わたしの近くを通り過ぎていった
  イナビカリからもやってきた
  とどろく雷鳴と嵐
  青々とした空に浮かんだ
  悪魔のような形相の
  雲からもやってきた


エドガー・ポーには、その不審な死に象徴されるように、生涯孤独の影が付きまとっていた。これは遺伝的な気質も関係があると思われるが、幼い頃に孤児になったという事情も大いに影響しているものと考えられる。

ポーは三歳のときに母親に死なれた。父親はそれ以前に家族を捨てて去っていたので、幼いポーは兄や妹とともに、孤児として取り残された。そのポーを拾って育ててくれたのが、ボルティモアの富裕な商人アランである。ポーはこの養父の姓を自分の名前の一部にしている。

だがアランはポーに対して余り愛情を示さなかったようだ。それは彼がポーを正式な養子にしなかったことに伺える。一方アラン夫人のほうは、ポーを溺愛した。ポーはこの夫人の愛があったおかげで、人並みに成長したといえるのだが、上述したように、一風変った性格の持ち主に育ったわけである。

1829年2月、ポーがまだ19歳のときにアラン夫人が死んだ。ポーはその当時軍隊にいたはずだが、アランは妻の病気をポーに知らせることもせず、ポーがその死を知って駆けつけたのは葬儀の日だったという。

アラン夫人の死によって、ポーは養父との関係がますます気まずくなるのを感じ、自分が本当に孤独になってしまったと感じた。その孤独感は子どもの頃からポーになじみのものだったが、いまでは文字通り天涯孤独になったことを感じないではいられなかった。

「アローン」と題するこの詩は、そんなポーが抱いていた孤独感を歌ったものだ。アラン夫人の死から間もない頃に書かれた。ポーの生前には公にされることがなかったが、死後発掘されて、ポーの若い頃の傑作として位置づけられるようになる。





Alone By Edgar Allan Poe

  From childhood's hour I have not been
  As others were; I have not seen
  As others saw; I could not bring
  My passions from a common spring.
  From the same source I have not taken
  My sorrow; I could not awaken
  My heart to joy at the same tone;
  And all I loved, I loved alone.

  Then- in my childhood, in the dawn
  Of a most stormy life- was drawn
  From every depth of good and ill
  The mystery which binds me still:
  From the torrent, or the fountain,
  From the red cliff of the mountain,
  From the sun that round me rolled
  In its autumn tint of gold,
  From the lightning in the sky
  As it passed me flying by,
  From the thunder and th storm,
  And the cloud that took the form
  (When the rest of Heaven was blue)
  Of a demon in my view.





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